朗読と座談会~海老原宏美の言葉から~
田渕/
皆さま、おはようございます。
海老原宏美基金で共同代表を務めさせていただいています、田渕と申します。
今日は日曜日という事でお休みの方も多いと思いますが、
「朗読と座談会 海老原宏美の言葉から&第一回助成事業活動報告会」にご参加頂きましてありがとうございます。
(動画ここから)
私は、海老原さんとは20数年のお付き合いをさせて頂きましたが、彼女から発せられる表現の面白さは、いつも群を抜いていて、クスっとしたり、ドキッとしたり、ハッとしたりすることが多かったです。
上手い事言うなぁ、といつも感心してばかりいました。
今日は第一部では、海老原さんが遺した膨大な言葉の中から選んだ言葉を、
NHKの視覚障害ナビ・ラジオに海老原さんが出演してから親交があった、フリーアナウンサーの高山久美子さんに朗読していただいた後、日常的に深いご縁のあった3人の方々に、それぞれの言葉について感じたこと、海老原さんとの思い出や今改めて思う事など思い思いに語っていただく予定です。
短い時間ではありますが、海老原宏美ワールドにしばし、浸っていただけましたら幸いです。
第二部では、海老原宏美基金第一回助成先である、12団体の皆様からの活動報告になります。
それではお昼まで、どうぞごゆっくりお付き合いください。
宍戸/
はい、ありがとうございました。
それではですね、続きまして、「海老原宏美基金」という存在をご存知ない方もいらっしゃると思いますので、
海老原宏美基金とは何か、というところで、活動のご紹介をしたいと思います。
海老原さんの介助者としても働いていたことのあります、運営委員の琴向芽よりお願いいたします。
琴/
はい。海老原宏美基金運営委員の琴向芽(くむひゃんあ)と申します。
ここでは、海老原宏美基金について、説明したいと思います。
海老原宏美基金は、2022年に立ち上がった基金で、海老原さんが特に力を入れていた、次の3つの活動を行う個人・団体を応援しています。
1つめは、若手障害者の育成と自立支援です。
海老原さんは、障害者運動は今、停滞していると話していました。
一方で、日本の障害者全員がちょっとした運動をすれば、社会は一気に変わるとも言っていました。
様々な社会課題がありますが、志を持って活動し続ける若手障害者を応援しています。
2つめは、インクルーシブ教育の普及・促進です。
インクルーシブ社会を実現するためには、インクルーシブ教育が必要だと海老原さんは常々言っていました。
障害のあるなしに関わらず、子供は地域の学校に通う権利があり、幼少期からともに過ごすことが何より大事です。
障害者権利条約に基づくインクルーシブ教育の普及・促進に取り組む活動を支援します。
3つめは、“自分らしさ”を支える介助者の育成です。
海老原さんは、日々の介助それ自体が障害者運動であり、介助者は運動に伴走する仲間であると考えました。
当事者の主体性を尊重しながら、ときには「支援者としての主体性」を発揮して、ともに課題に向き合い、ともに責任を取りあうような、その人の“自分らしさ”を支える、介助者の育成を目指しました。
こうした技術や倫理を備えた介助者を育むための活動を支援します。
昨年度は、海老原宏美基金として12の個人・団体へ第1回目の助成を実施することができました。
本年度は、6の個人・団体への助成を実施しています。
皆様のご寄付・ご協力があって、基金の運営が成り立っています。改めて御礼申し上げます。
どうぞ今後とも海老原宏美基金をよろしくお願いいたします。
(4:54)
宍戸/
はい、ありがとうございました。
それでは本日の催しの、第一部であります、朗読と座談会へ移ります。
ここからは進行を、運営委員の深田耕一郎さんに委ねたいと思います。
深田さん、お願いします。
深田/
はい、皆さんおはようございます。
本日の司会進行をつとめます、深田耕一郎と申します。
基金の運営委員をつとめております。
海老原さんとは、2007年頃からでしょうかね。私自身が障害をお持ちの方の介助を続けていることもあって、えーまあ、仲良くなってですね、時々、お酒を飲み交わすような飲み友達でした。
はい、そんなゆかりもあって、この基金で活動をさせていただいております。
本日はよろしくお願いいたします。
今日はですね、朗読と座談会~海老原宏美の言葉からということで、先ほどご紹介ありましたように、海老原さんが残した言葉を取り上げて、海老原さんをしのぶ、というよりは、海老原さんの軽やかで明るいメッセージを受けとって、そこから私たちが前を向いて歩んでいくためのヒントを、皆さんと分かち合えたらという風に思っております。
今日は朗読と座談会ということで、初めに海老原さんの言葉を朗読した後に、今こちらに登壇していただいている登壇者の皆さんと、座談会を行っていきたいという風に考えております。
で、今日ご登壇いただいた、海老原さんと縁のあった皆さんですね、早速ご紹介していきたいと思います。
最初に座談会のメンバーということで、海老原さんと様々な活動をともにしていらした私のすぐ隣にいらっしゃいますのが、田丸敬一朗さんです。
田丸さんよかったら、自己紹介お願いします。
田丸/
皆さんおはようございます。えっと、田丸敬一朗と申します。
海老原さんとは、前々職のDPI日本会議というところに私が勤務していた時に、海老原さんと知り合うことがありまして、色々あの、DPIで企画している研修にご協力いただいたりとか、後は若手障害者の勉強会とかに一緒に参加させていただいたりとか、一緒に海外に行ったりとか。
色々な経験をさせていただいて、その後、ぼくが退職した後に、海老原さんに、後でも出てくるかもしれないですけど、TIP、東京インクルーシブ教育プロジェクトに参加しない、って誘ってもらって、そこから参加させていただいていた、というつながりがありました。
本当に海老原さんは、色々な、先ほど田渕さんもおっしゃっていたんですけど、色々な発想とか言葉とかを聞かせていただいて、そういう風な見方もできるんだなあと、色々考えさせていただきました。
今日は参加させていただきまして、ありがとうございます。
よろしくお願いします。
深田/
はい。ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
続きまして、STEPえどがわの工藤登志子さんです。
よろしくお願いいたします。
工藤/
皆さま、おはようございます。
本日はよろしくお願いいたします。
えっと、私は海老原さんとは、2015年に出会いまして、
全国の自立生活センターに所属している障害者で、アメリカのADAという、世界で初めて障害者差別を禁止した法律を学ぶというツアーで、アメリカで出会いました。
その後は、仕事仲間というよりは、どちらかというと、遊び相手みたいな感じで、遊びに誘っていただくような関係でした。
実は今日着ているこの青いTシャツも、東大和のシャルソンという、街を走りながら東大和を知るというようなイベントを、海老原さんがそこに関わっていまして、そこに参加しなよということで、一緒に街歩きをした時の思い出のTシャツを今日は着てきました。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
深田/
よろしくお願いいたします。工藤さん、ありがとうございます。
はい、じゃあマイクをお渡しいただきまして。
続いては、海老原さんの介助を長年なさってこられました、小林勢津子さんです。
よろしくお願いいたします。
小林/
はい、小林勢津子です。今日は介助者、海老原宏美の介助者、えっと、海老原宏美アテンダント、通称えびアテの代表として参加させていただきました。
えっとー、私はもともと地元が東大和市ということもあって、海老原宏美が自立して、2年半くらい経った時に、ちょうど私もその、CIL東大和の門をたたいたというか、仕事ありませんか、っていう形で出会ったのが最初でした。
で、えっと私も結婚してちょっと引越しをしたり出産したりというのがあって、ちょっとブランクは空いたのですけれども、またひょんなきっかけで、戻ってこないというか、あ、私もちょうど暇だったわ、という感じで、2018年から、また介助者として、週に1,2回なんですけども、えっと、生活の方一緒に支えていくメンバーとして、仲間になりました。
そこからは短かったんですけれども、すごく、濃厚な数年間を最後まで一緒に過ごしてきました。
今日はよろしくお願いいたします。
深田/
よろしくお願いします。小林さん、ありがとうございます。
そして、朗読はですね。(笑)
フリーアナウンサーの高山久美子さんにお越しいただいております。
プロフィールは私の方からご紹介させていただきます。
高山久美子さん、フリーアナウンサーでいらっしゃいます。
主な出演番組に、NHKの視覚障害ナビラジオ、高校講座言語文化、高校講座古典探究、それからNHKFMのベストオブクラシックなど、様々ご活躍です。
視覚障害ナビラジオでは、制作ディレクターを兼務なさっています。
こちらの番組で、海老原さんに、あのゲスト出演を依頼されたということで、読書バリアフリーですとか、相模原市障害者殺傷事件で、海老原さんにゲスト出演を依頼し、海老原さん亡き後、30分のですね、追悼番組を制作されました。
高山さん良かったらですね、海老原さんとの出会いですとか縁を、少しお話いただけたら幸いです。
高山/
はい、ありがとうございます。
今日は、お声がけいただいて、とても光栄です。
えっと、海老原さんにお会いしたのは、「風は生きよという」、あの映画ができた時に見に行きまして、そこに海老原さんが会場にいらしてまして、あの、もう、映画をみてもう、すぐに大ファンになりまして、もうあの、絶対にすぐにお話したいと思って、終わった後海老原さんの方に駆け寄っていきまして、もう名刺を差し出しまして、「海老原さん、必ず、あの番組に、ラジオの番組に出てください!」とお願いしたのが最初でした。
深田/はい。
高山/
そして、あの、2回出ていただいたんですけれども、本当に素敵な言葉を発信してくださいました。
そして、それがあったので、追悼番組の方も、あの作れたということで、すごく、本当に、海老原さん、今でも、今でも大ファンですし、感謝しています。
今日はよろしくお願いします。
深田/
よろしくお願いします。高山さん、ありがとうございます。
そうしましたら早速、朗読の方に移っていきたいと思います。
先ほど、基金の紹介がありましたが、海老原基金では、三つの分野で助成活動を行っています。今日もその3つの分野ごとに、朗読と座談会を行っていきたいと思っております。
では早速、一つ目の分野ですね。
若手、「障害種別をこえた若手障害者の育成と自立支援」というテーマにつきまして、早速朗読をよろしくお願いいたします。
(13:40)
高山/
はい。
1-1 私が自分の意志で、一人でホームに立った時、社会は私の存在を見てくれるようになるのだ。
高校1年生の夏、兵庫県神戸市で行われた「障害者甲子園」に参加。
人生で初めて一人で電車に乗り神戸へ。それまで付き添いの親ばかりを見て話していた駅員が、一人のときは自分の目をみて話すことに気づき、衝撃を受けた。
1-2 自分が障害者であると自覚することから始めないといけない
障害者の人権を訴えることはあっても、「健常者のふり」をして生きるのは絶対違うと海老原さん。障害と向き合わないまま重度化すれば、そのときに途方にくれるのは自分自身。障害者である「価値」を自らが受け取るところから、第一歩が始まる。
1-3 自分が動けば周りが変わる 人とつながれば社会が変わる
いま、自分が地域で快適な生活を送ることができているのは、障害者運動のおかげ。自分はその恩恵を受けるだけでいいのか?自分には何ができるのか?
自問自答を繰り返していた海老原さんが、行動の信念にしていた言葉。
深田/
高山さん、どうもありがとうございます。
ほんとうに、海老原さんの言葉が今すっと入ってきました。
はい、では早速ですけれども、あの今の、朗読いただいたテーマにつきまして、皆さんとともにお話ができたらと思います。
そうしましたら最初に、工藤さんお願いしてもよろしいでしょうか。
工藤/
えっとですね、そうですね、私はこの、「自分の意志で、一人でホームに立った時に社会が自分の方を見てくれたことにすごい衝撃を受けた」という風に海老原さんおっしゃっていましたけど、私の場合はですね、ま、同じように進行性の障害なんですけど、ま、比較的進行が緩やかということもあって、あの、子どもの頃は介助者とか親の介助を使わず、一人であの、動けていて、大人になってから介助者をつけて外を歩くようになったんですけども。
あの、介助者と一緒に歩くようになって、あの、駅員さんが私の方を見てくれずに、介助者だけに話しかけるとか、店員さんも、私が店員さんに質問したのに、その答えを介助者の方に返すとかっていう、私は逆の衝撃を受けて、あの、こんなにも障害者って、人に見られていないんだっていうことをその時に感じました。
だからほんとうに、外出する時に、今、この外出は私の意志で外出しているんだっていうことを、強く自覚しないと、本当に社会から透明人間のように見られてるということをその時に感じて、なので本当に、この海老原さんの言葉が、すごく自分ごとのように共感できるなぁと思いました。
それから1-3の「自分が動けば周りが変わる」っていうところも、本当にそうだなぁと思って。
あの、海老原さんとのエピソードで一つ思い出したのが、2015年にアメリカで出会ったっていうこと、さっきも言ったんですけど、その時に海老原さんが、準備の段階から、ずっとFacebookで実況のように、今自分はこんな状況なんだっていうことを中継していたんですけど、介助者がまず、いない。一緒に行ってくれる人を探しているということをFacebookでまず書いていたりとか。
あとは、人工呼吸器で十何時間飛行機に乗って海外に行くっていう前例がなくて、あの、航空会社もすごくあたふたしている。乗れるかどうかがわからないっていう。当日、日が変わるくらいまで、リアルタイムでFacebookに載せていて。
あと何時間後に飛行機出ちゃうんだけど、未だに回答がないんだよね、みたいな、そういうことを載せていて、みんなで「え、どうなる、どうなる?」とすごく注目してみていたんですけど。
ま、そういう注目があったからなのかわかんないですけど、協力者がどんどん増えてきて、最終的に乗って無事アメリカに行けたんですけど。介助者も見つかってっていうことがあって。
やっぱりその、海老原さんの行動力を見て、あの、巻き込まれる人がどんどん増えていくっていう。自ら巻き込まれに行くっていうような現象が起きているを目の当たりにして。本当に海老原さんのそういう行動に、私も巻き込まれた一人なんですけど、あの、すごく参考になるなと思っていました。
はい、以上です。
深田/
ありがとうございます。
こちらが巻き込まれたくなる、というね、気持ちを起こさせるという。
海老原さん流の社会変革というか社会運動というか、そういうことなのかもしれませんね。
はい。ありがとうございます。
そうしましたら次は、田丸さんにお願いしてもよろしいですか。
田丸/
はい、えっと、私も1から3のことで思う、感じることがあるんですけど、
海老原さん、先ほどおっしゃっているように、自分がいろんな形で動くことで周りを変えていくっていうことを活動としてされてきたなと思っていて、あの、まあ、ご存知の方も多いかもしれませんが、小池さん、小池都知事にお手紙を渡されたりとか、そう言うことも含めて、あの、自分たちというか、障害者の問題をどういうふうに一般化していくかとか、社会化していくかということを、戦略的というか、どこまで意識されていたかはともかくとして、やっていらした方なんだなということをすごく思っています。
で、やっぱり今特に、障害者のインフルエンサーとか色んな方たちがいらっしゃるんですけど、障害者がつぶやいたりすることで炎上してしまったりということも、あるんですけど、
やっぱりそれっていうのは、障害者の状況を実際によく分かっていなくて、でもその、障害者が差別されたとか偏見ということだけを、あの受けとめられなくて、当事者の人ではない人たち、一般の人たちがそこがわからないから、伝わりづらいというのも理由の一つ、もちろん叩きたいだけの人もいると思うんですけど、なのかな、という風に思っていて、なので、障害者の社会参加の過程というのを外に出していって、みんなに知ってもらうっていうことが、すごく大事だなと思っています。
先ほど工藤さんがおっしゃっていたような、介助者を探すということがどれだけ大変なのかとか、今重度訪問の方が、重度訪問使っているけど介助者がいなくて、ベッドにも移れない人がいるとか、外出するのにどれくらい面倒くさいのかとか、飛行機乗るためにどれだけ面倒くさいとかっていうことも、伝えていくことで、ああこういう問題があるんだなっていうことをわかった上で、でそのうえで、また差別がさらにあったりとか、偏見を持った人たちと関わることになって、という、何だろう、いろんな過程を伝えていくことが、実際の障害者の状況を伝えていくことにもなるし、それが、その、当事者が抱えている問題だったり、ニーズとかを、本当の意味で周りの人たちに伝えていくことにもつながっていくんじゃないかっていう風に感じています。
なのでそれを実践されていた海老原さんの言葉が、さっきの1-3に表されているなと感じました。
深田/
田丸さんありがとうございます。
いや、本当に、海老原さんにはその、人に伝わる言葉がありましたよね。
それを本当に、先ほどの工藤さんのお話にもありましたが、Facebookで実況中継してみたり、介助者が集まらないとか、航空会社から連絡がないといったことを、非常に明るく、軽やかに、言葉のちからと軽やかな姿勢とで社会に訴えるというか、まあ巻き込んでいくというか、そのようなことをされていたと、本当にはい、改めて感じました。
はい、では続きまして、小林さんにお願いしてもよろしいでしょうか。
小林/
はい。えっと、私もあの、一介助者として、交渉の場とか、あとはまぁ、教育庁とか、色々な場面で海老原が話をしている、そういう場面に一緒にいたんですけれども、
なんかこう、交渉とか運動とか、そういう風に聞くと、なんか荒々しいイメージというか、闘いみたいなそういうイメージがあんですけど、まあ実際そういう歴史もあると思うんですけど、多分なんか海老原の交渉とかそういう対話の仕方っていうのは、なんか、お互い大変ですよね、みたいな、そういう感じで話をするんですよね。だからなんか多分、お互いが対立しているというよりも、お互い自分のことも話す、相手のことも思う、なんか、それがすごく、なんかいつもいい雰囲気で行われていたイメージがありました。
なんだろう、たぶん工藤さんのアメリカの話とかもそうなんですけど、本当にその、障害者の方たちが困っているとか、そういうことを知らない人がたぶん多くて、たぶんアメリカのその航空、飛行機、なかなかうまくいかなかったこととかも、その、Facebookみていない人とかも、その場に実際にいた、全然関係ないお客さんとかも、なんかあの人たちなんかやっているぞみたいな、ほんと、そういうのが目に見えるというか、なんか、それだけでも本当に運動になっているのかな、と思いました。
深田/
はい、小林さんありがとうございます。
介助者の方から見た、まあ海老原さんのその、生活が運動になっているということをお話いただきました。
えー、もう少し時間があるかなと思うんですけども、皆さんもし、付け足しで、このことも言っておきたいですということがありましたら、いかがでしょうかね。
工藤さん、先ほどのアメリカでのお話が、どんな視察旅行だったかとか何かエピソードありましたら、お話いただいてもよろしいですか、これは打ち合わせにはないことでした。
工藤/
そうですね、2015年、アメリカのADAという法律、障害者差別を禁止する法律っていうが世界で初めてできて、それが1990年にできた法律で、ちょうど2015年が25周年の節目になる年ということで、アメリカで、そういう障害当事者が集まって、けっこう大々的なイベントをするっていうことで、日本もそこを学ばせてもらおうっていうことで、そうですね、介助者も入れると100人くらい、日本から行ったと思うんですけど、その中に私もえびちゃんもいて、当時私はその時、自立生活運動にかかわったばっかり、本当にもう、1,2か月くらいの時に関わって、で全然周りに知らない人ばっかりだったんですね。
その時、一番最初に仲良くなったのがえびちゃんで。
深田/そうだったんですか。
工藤/
そうなんですよ。当時私、立川にいて、成田空港に行くのに、成田エクスプレスでしたっけ、あの立川駅から行けるやつ。その車いす席を予約していて。
で、車いす席が確か一席しかなくて、で、私は予約していたんですけど、ある日こう、JRから電話がかかってきて。
もう一人車いすスペース乗りたいという人がいるんだけど、あの、もし良ければ一緒に行ってくれませんかっていう。
スペースは一つしかないんですけど、相手の方はどこでも乗れればいいと言っているんで。
深田/はははは。もしや。
工藤/そうなんですよ、あなたがいいんだったら、2人で行ってくれませんか、みたいな。電話がかかってきて、あの、本人から電話させますんで、ということでかかってきたのがえびちゃん。
深田/なるほどー!いい出会いですね。
工藤/そうそう、それが初めての会話だったと思うんですけど、電話越しにあの、「一緒に行ってもいいー?」みたいな感じで言われて。
そんな、連絡、JRからそういう連絡くるんだ、っていうちょっとびっくりした出来事があって、それで仲良く、二人で成田空港まで行ったっていう思い出がありますね。
深田/なるほど。はい。
工藤/本当にJRのルールさえも動かしてしまう、そういう臨機応変な方でした。
深田/ありがとうございます。それも社会を変える運動の一つのようにも感じ取れますかね。はい、ありがとうございました。
はい。では一つ目のパートはこれで終わりにしまして、二つ目のパートになります。
インクルーシブ教育の普及・促進につきまして、では朗読をどうぞよろしくお願いいたします。
(27:56)
高山/はい。
2-1 人に支えられることも、立派な「自立」だと思うのです
普通学級に通っていたころ、学校でいじめられたりすることはないのか、人に頼ってばかりで不自由ではないのか、と尋ねられることが多々あった。
海老原さんにしてみれば、いじめよりも母親が学校に付き添うことのほうが嫌で、なにより、友だちの手を借りれば一緒に楽しく過ごすことができるのだった。
2-2 地域生活って、良い悪いじゃない。そもそも権利だから
2016年7月26日、津久井やまゆり園で障害者19人が殺害された。
事件後、利用者たちには今後施設で暮らすか、グループホームなどに移るかを問う「意思決定支援」が行われた。海老原さんは、本人の意思が周囲の人の影響によって変わること、地域か施設かの選択を迫ること、そのものへの違和感を述べた。
2-3 私たち障害者が求めているのは「ともに生きる社会」であって「障害者のための」「特別な」配慮とか、障害者にだけ「特別に」あたえられる「安全」とか「保護」でもない
障害者だけ「特別に」楽しい生活を送りたい、と思っているわけではなく、マジョリティがあたりまえに過ごしているその「同じスタート地点に立ちたい」。ただそれだけのこと。
深田/ありがとうございました。
そうしましたら二つ目のテーマにつきましても、皆さんとお話ができたらと思います。
こちらもそうですね、工藤さんにまずお話いただいてもよろしいでしょうか。
工藤/
はい、えっとそうですね、「人に支えられることも立派な自立」っていうことで、えびちゃんとのエピソードで思い出すことは、
あの、カオス会っていう、えびちゃんが自分の自宅を開放して、色んな仲間を自分の家に招待して飲み会をするっていうのを、こう、年に一回とかやっていたんですけど、その時に私も誘われて行ったら、本当に、あの、7畳とかの部屋に何十人ってこう詰め込まれていて、今日こそ床が抜けるぞみたいな、そういう話を毎回していて、そこに行くと、みんな知らない人ばかりなんですけど、なぜかこう、みんな楽しく、その場の出会いを楽しんでいるっていう状況があって。
で、障害者ってどうしても、介助者とか支援者に囲まれているというイメージがあると思うんですけど、そのカオス会に行くと、全く福祉と関係ない人がいたりとか、あの、どこのだれか分からない人がいたりとかっていう、そういう人もえびちゃんのおちょこの日本酒にストローさして飲ませていたりとか、色んな事をしながら、えびちゃんのなんか、力になっているっていう。えびちゃん自身もだれかの力になっているという光景が、当たり前のようにあって。
障害者を支えるのってかならずしも介助者だけじゃないし、親だけでもないし、ということを、すごくカオス会が表していたな、という風なエピソードを思い出しました。はい。
深田/
ありがとうございます。
そうですね、支えるのは介助者だけでもないし、家族だけでもないし、支える・支えられる関係がそもそもいくつも変わっていくということを、カオス会で表現されていたということですね。
はい、ありがとうございます。
では小林さん、いかがでしょうかね。
小林/
はい、えっと、「人に支えられることも立派な自立だと思うのです」っていう、最初の文章なんですけど。
なんか、その、助けてとか手伝ってとかって、なかなか言えない自分がいて、なんかそれって小さいころからなんか「一人で全部やり遂げて出来上がったことがえらい」みたいな、なんかずっとそういう風に言われてきた気がして、そう思うと、もっと早いうちから、障害ある・ないにかかわらず、助けてって言っていいんだよ、助けてって言うことも一つの手段なんだよっていうことを教えてほしかったなって、すごく思いました。
だから私は、この言葉が、もう本当に今の小さい子どもたちにも伝わるといいな、と思っています。はい。
深田/
はい、どうもありがとうございます。
そうですね、「自立、自立」っていうのは障害をお持ちの方に一方的に言われる感じがありますけれども、
そうですね、人に支えられることも自立なんだというのは、障害者の方だけじゃなくて、いわゆる「健常」と言われる人に対しても、いわゆる緊張をときほぐすようなね、緊張をときほぐして、助けてっていえる、むしろそのことが自立なんだということが、そうですね、みんなにこう伝えたい言葉なんだなということを、私も感じました。ありがとうございます。
はい、では田丸さんいかがでしょうか。
田丸/
はい、ありがとうございます。
えっと、海老原さん、皆さんもご存知の通りなんですけど、ここにもテーマとして上がっているように、海老原さん、ずっとインクルーシブ教育を推進していくっていう活動を進められていて、そういうのもあってTIPとかも立ち上げられたりということがあったと思いますし、海老原さんもインクルーシブな教育がインクルーシブ社会を作るんだということもずっと仰って来たと思うんですね。
なのでそういう長い活動の中で、えっと、ここの項目も出てきたんだと思うし、自分自身もインクルーシブ教育というか、その当時は違うかもしれませんけど、通常学級にいた体験とかが、この運動とかにもつながってきているんだなというのは感じるんですけど、ぼくが思ったのは2-2のところ。
「良い悪いじゃなくて、権利だ」というところなんですけれど、本当にまさにそうだなと思っていて、あのーよく、教育とか自立とかもそうなんですけど、を考える時に、どっちだったからよかったとか、悪かったという話をしがちなんですよね、やっぱり。
そういう風に、インクルーシブ教育がよかったとか、そうじゃなくて特別支援学校の方がいいんだという話にもなるし、自立の話もそうなんですけど、地域で自立できないから施設の方が安心で良かったじゃないですか、みたいな話にもなるというのが、よく議論の中にも出てきてしまうんですけど、やっぱり本当にまさに、良い悪いじゃなく権利だっていうところが、キーになるんじゃないかと感じています。
教育とか自立とかというので、上手くいくかいかないかは結果論であって、その人が感じることであって、それは、その、それも含めて健常者が感じていることだと思うんですね。
この学校に行って良かったとか、この学校は嫌だったとか、この先生は良かった、悪かったというのは結果であって、なんだろう、どういう出会いがあるかということの、ことだとは思うんですけど、そうではなくて、学校に行けるかどうかっていうこととか、地域で生活できるかどうかというところが、担保されているかどうか。
それが担保されていないから、権利が侵害されているんだというところが、一番問題になっているような気がしていて、それは海老原さんがおっしゃっていた頃から、あまり、何も変わっていないな、って思うんですけど、そこを、きちんと分けて、権利だから地域で生活できる、権利だからインクルーシブ教育ができるようにということを、私たちも間違わないで話をしていかないといけないなという風に思っています。
深田/
ありがとうございます。そうですね、「いい悪い」じゃないんだと、そもそも権利なんだというところ、こちら工藤さんにもお話をいただけるかなと思うんですが、いかがでしょうか。
工藤/
はい、そうですね。
この言葉もそうですし、海老原さんの映画の「風は生きよという」の中のシーンにもあったと思うんですけど、こう、健常者は自分が生きている意味を他人に説明する必要がないのに、それが重度障害者になると、なんで自分は「こういう理由で地域で暮らしたい」っていうことを、他人に納得してもらわないと生きられないのか、みたいなことを言っていて、そこにえびちゃんはすごく明るい感じで、面白く言うんですけど、多分こう、内なる怒りみたいなのがきっとあるんだろうな、とそのシーンで感じていて。
で、実を言うと、私も、個人的なことなんですけど、専門学校に行こうと思って願書を出したら、「車いすだから」ということで入学拒否にあいまして。
その時に、私はスムーズに入れると思ったらそこでこう、ストップをかけられて、「私はこういう理由で願書を出しました。で、こういう理由で通いたいんです」っていうことをわざわざ説明して、それで結果が覆って入学はできたんですけど、なんかすごく、そこで、ハードルがあるなってういうことを感じて、なんで説明しないといけないのか、っていう。そもそも入れる権利としてあるはずなのに、それを障害者は何だろう、健常者と同じように行かないということをすごく、この今の時代にもあるんだなっていうことを感じていて、なので、えびちゃんが持っていた怒りっていうのを、私たちも忘れちゃいけないなと思って、日々それを感じながら生きないと、どんどんやっぱり、置いて行かれてしまうなというのを感じています。
深田/
ありがとうございます。怒りですね、はい。
海老原さんの軽やかさの中にも、根底にはね、怒りていうのがあったというのは、本当に私もそうだな、とかんじます。
本当にそうですね、地域生活をするにしても、そのまず、その、行政と対話して交渉してですね、介助だったら介助の時間数を、こう、いかにして出させるかというようなところで、そんな簡単なところから、行政とのこのやり取りがね、必要になってくるんですが、そのあたりでは、工藤さん仰っていましたよね、その行政とのやり取りのこととかいかがですか。
工藤/
そうですね。あの、私も介助時間の交渉をする時に、一週間分の予定を、こういう風に私は一日を過ごしますっていうのを、一週間分書いて出すんですけど、その時に、行政の方から、「普通の成人の人は、一日トイレは5回しか行きませんので」とか、そういうことを言われるんですね。
「入院中の方なんて、週2回しかお風呂に入らないので、あなたは毎日入浴する必要があるんですか」とか、そういうことを、あの、平気で言われるんですね。
そうなると今度は私は、「毎日お風呂に入らないと行けない理由」を説明しないといけなくて、色んな理由をつけて説明するんですけど、で、最終的にその行政の方がどういう答えを出してきたかっていうと、「ま、あなたは今は若い女性なので、毎日入りたいですよね、じゃあ認めます」っていうことになって。
え、じゃあ私、年を取ったらどうなるんだろうとか、若くない男性だったらどういう返答だったんだろうっていうことがすごく気になって、なんか、そこもその、行政の対応する人の考えで、障害者の運命が左右されてしまうっていう、そこがすごく理不尽だなという風な感じがしています。
深田/
ありがとうございます。工藤さんも今、軽やかに話してくださっていたので、笑い話になってしまいそうになのですが、決して笑い話ではなくて、本当に人権問題ですよね。人権侵害の問題だなという風に感じます。
それをこうやっぱり、そのままで流されていくんじゃなくて、根底にちゃんと怒りを持ってっていうことが大切だなと思うのですが、もう少し時間ありますので、この怒りとかどうでしょうかね。田丸さん例えば、今の工藤さんのお話を受けてでもいいのですけれども。
田丸/
怒り。そうですよね、うーんと思うのは、やっぱり私たちは、それでも運動とかをやってきたり、やってる人を見たりっていうのがあるので、実際に何か理不尽なことがあった時に、その時にどういう風に怒るのかはともかく、色んな形で、その時にどうやっていこうというのがあると思うんですよね。
で、やっぱりそこは、でもぼくたちよりももっと多くの人たちが、今のようなやりとりを多くしているんだろうなと思うんですよ。で、そこが、実際そう言われた時にそうなんだと思っちゃうひともいるたり、そう思わなくても理不尽だと思っても、どうすればいいのか分からない人が、たぶんたくさんいるというのが、すごく、なんだろう、もどかしいなと、いつもこういう話を聞くと思うことなんですね。
ぼく自身が言われれば、ぼくはぼくなりに闘おうと思うとか、妥協しようと思うとか、色々あるんだとは思うんですけど、そこも、何だろうな、自分に置き換えるとそんなに困らないというか、困らないわけではないけれど、まだ受け止められるんですけど、やっぱりそうじゃない人たちが、そういう扱いをされているんだなということが、すごく腹立たしいというか、もどかしいなっていうふうに、すごく感じます。
やっぱり声を上げないと変わらないということが多すぎて、ぼくたちはそういうのを変えてきた人たち、ぼくも変えてこれたかもしれませんけど、色んな形でそういうなんか携わってきている人たちを見てきてというのがあるんですけど、そうじゃない人たちに対して、どう伝えれば、例えばぼくたちが「お手伝いできますよ」とか「こういう情報ありますよ」とか、さっきの工藤さんの話とかを、全然運動体に関わっていない人が言われたら、ああそういうものなんだと思うかもしれませんよね。
週に2回しかお風呂に入れない人もいるかもしれなくて、そういう人たちが私たちの権利なんだとか、みんなそうしているから当たり前じゃん、と思える状況をつくれるかどうかっていうところがぼくたちにかかっているというか、僕たちもそれを伝えていかないといけないんじゃないかという風に思います。
深田/
ありがとうございます。えーもう少しある。
小林さんどうでしょうか。あの、一つ目のパートの時に、海老原さんは対立じゃなくてね、対話を丁寧にしていかれたというようなお話があったんですけれども、海老原さんとのエピソードでも構いませんし、小林さんのお立場から、今のようなテーマについてどのようなことをお考えになりますでしょうか。
小林/
なんか今、単純に工藤さんの実際にやり取りをしていた話を聞いて、なんかちょっと面白かったりとか(笑)、ただなんか今までも確かに、海老原と一緒にいても、そういうやり取りを、ああ見てきたなというのもちょっと思い出したりしていて、なんか、私はそういう場面にたくさん出会うことができたけど、実際本当に、こういうやり取りが世の中で起きているんだっていうのは、たぶん世の中のほとんどの人が知らないことだと思うんですね。
まさかその、一週間のスケジュールを出してとか、そういうやり方をやっているっていうのは、ほとんどの人が知らないんだろうなぁと思うんですよね。
だからそういう、工藤さんの実際のお話とか、もっとみんなに知ってもらえたらいいな、実例集みたいな(笑)。
なんか面白おかしくでもいいので、色んな人の話ってもっと世の中に知れ渡ったらいいなって思いました。
深田/
はい。ありがとうございます。はい。
そうしましたら二つ目のパートは以上としまして、三つ目のパートということで、「自分らしさに伴走する介助者の育成」というテーマで、朗読していただきます。
よろしくお願いします。
(46:11)
高山/はい。
3-1 「へえ、こんな人が近所に住んでるんだなぁ」って知ってもらうことが自体が、一つの運動でもある
海老原さんは、介助者募集のチラシを1軒1軒、自らポスティングしていた。たとえ応募がこなくとも、障害のある自分が同じ街に住んでいることを知ってもらうことに大事な意味があるのだ。
3-2 「分かってくれ」じゃなくて、分かるように「伝えていく」
海老原さんが言葉を発信するとき、心がけていたこと。障害者の業界でしか通用しないような専門用語や、専門的な知識、情報ばかりを使わないこと。「障害者の困りごとは自分には関係ない」という感覚を、いかに身近に感じてもらえるか、いかに読み手の日常とダブらせるかが勝負。
深田/
はい、ありがとうございます。
ここでも本当に、海老原さんの社会を変えていく力というか、生活の中から、あるいは身近な介助者から、社会を変えていく取り組みをなさっていた、あるいはその言葉だったなという風に思いました。
このテーマでもですね、皆さんとお話できたらという風に思うのですけれども、そうしましたら最初に工藤さん、またお願いしてもよろしいでしょうか。
工藤/
はい、そうですね。私もこの、海老原さんがやっていたこんなところに、近所にこんな人が住んでいるんだな、というところでいうと、
これもまた映画の話になるんですけど、海老原さんが高級住宅街でポスティングをしているシーンがあって、なんか、「こんないいところに住んでいる人は介助者なんてやらないよー」って、なんかこう、ぼやきながらポスティングをしているシーンがあって、なんか、私はちょっとそのシーンが好きで、なんかあの、真似してポスティングをしてみようと思ったんですね。
でまあ、チラシを大量にさばけるのってやっぱり団地とか、集合住宅かな、と思って、都営住宅に行ってみたんですね。けっこう大きめの都営住宅に行って、ポストに、何棟、5棟くらいある棟に何百枚と入れていくんですけど、入れている途中で、ポストのところに「チラシ厳禁」みたいな貼り紙を見つけて、「カメラで監視中です、通報します」みたいに書いてあって、ええっって思って、通報されちゃうのと思って、これはちょっと一旦、自治会のなんか偉い人に許可を取ろうと思って、まあ、事情を説明したら許可してくれるかもしれないと思って、自治会長を探そうということになって。
ただ、どこにいるかわからないとなって、その辺で草むしりしているようなおばあちゃんに、「ここの自治会を取りまとめている人はどなたですか」と聞いたら、「いや、わかんない」と言われて、「ちょっとわかんないからあそこの掃除の人に聞いてみる」といって、掃除の人のところに行って、その人に聞いて、その人も「いやーちょっとわからないね」となって、で、また近くの人に、「なんかこの人がポスティングしたいらしいんだけど、偉い人知らない?」みたいな。みんな知らない、知らないって。どんどんどんどんどん色んな人のところに連れていかれて、まあ結局その日は自治会長にたどり着けなかったんですけど。
ただ、まあその、色んな人に、人から人へ、「なんかこの人が介助者探しているらしくて、ポスティング、なんかポストに介助者募集のチラシを入れたいらしいんだけど」と話してくれて、なんとなく私が何者かっていうのを、そこでみんなに知ってもらえたというのがあって、逆にそのチラシを見て、「私のところにも介助来てくれるの」みたいな、おばあちゃんに言われたりして。
一同/(笑)
工藤/
私もきてほしいんだけど、みたいな、新しい利用者が増えそうにもなったりして。なんかけっこう、そういう輪ができたりしたのが面白かったなーと思って。
それもあって。そういう集合住宅以外にも、戸建てのところに入れながら、「ここにこんな豪邸がある、この人と仲良くなれたら、介助者…にはなってくれないかもしれないけどいいことあるかもしれない」とか、お家の人出てこないかなと思ってなんかうろうろしてみたりとか、こういうところにこういうお店があるんだとか、ここ車いすで入れそうだなとか、なんか街のことを知るっていう、ポスティングっていいなと思えて、なんかすごく、えびちゃんの映画のワンシーンがきっかけで、なんか私の世界も広がったな、という風に思っています。
深田/ありがとうございます。
そうですね、まさに「風は生きよという」のね、ワンシーンが本当に思い出されますけれども、海老原さんが映画のワンシーンを通して伝えてくれたことが、こうやって工藤さんに伝わって、しっかり伝わっているってことが素晴らしいですね。
はい、ありがとうございます。
そうしましたら小林さん、介助をずっとなさってこられたので、介助者という立場からいかがでしょうか。
小林/
はい。えっと、私もその、介助者というか、その、始めたのは大学一年生の時だったんですけど、たまたま大学の中に、「介助者募集」っていう、自立生活センターのポスターを見つけて。
介助って別に資格無くてもできるんだーみたいな。まあもちろん研修はあるんですけど。こんなに簡単にできるんだ、しかも時給高いし、という軽い気持ちで始めたんですね。
で、実際初めて行ったのが、脳性まひの一人暮らしをしている女性の方のお風呂介助がメインで行ったんですけど、まず一人で暮らしている、障害者の人って一人で暮らしているんだという、本当に何も知らない状態で。
実はそのアパートには、2軒隣には、もう一人車いすの人が一人で暮らしているとか、え、障害者の人ってこんなに一人で暮らしているもんなんだって、初めて知ったんですね。
なのでまあ、あの、意外と、知らない。身近なところに、けっこう今、その、聴覚障害の方とかも、見た目ではわからない。実際話してみたら、この方聴覚障害だったんだ、ずっと同じマンションにいたけど知らなかったとか。
なんか本当に、世の中にそういうのっていっぱいあるんだなって思うんですよね。
で、私もありがたいことに、大学1年生からバイトを始めて、細く長くというか、ずっと続けていく中で海老原とも出会ったんですけど、私もその大学の頃、バイトを始めて、沢山失敗もしてきてというか、関係づくりが、どうしても障害者の方と関わり方がうまくいかなかったりということがあって。
なんか海老原と出会った時も、なんかこう、介助者はただの黒子であればいいんだ、言われたことをしっかりやり遂げるのが立派な介助者、みたいな思いで最初はずっとやっていたんですけど。
なんかこう、なんだろう、海老原と過ごす中で、なんかこう一緒にこう、色々やっていく、運動の場所に行くとか遊びに行くとか、それを、なんか一緒に楽しんでいけるようになったというか、あ、介助者の立場ってなんか、どれが正解なのかなって、すごく考えることが多かったんですよね。
で、なんだろうそのうち、だんだんだんだん気づいたのは、海老原が重度化していったり、体調悪かったりというところも一緒に過ごしていく中で、なんかこう、支える、支えられるという関係じゃなくて、なんだろうこう、ほんとうに一緒に生きる、一緒に同じ立場というか、同じ立場じゃなくて同じものを目指して、同じものに向かって過ごしていく。それが障害者と介助者のいい関係なのかな、って思うようになったんですよね。
であの、海老原自身が、あの何かイベントかなにかで話していたのに、
「介助者っていうのは、うちの生きるを一緒に生きることなんだよ」と言っているんですよね。
私、その言葉を聞いた時にあ、これだ、って思って、なんか私、介助者と障害者の方の関係って、上手くいつも説明できないでいたんですけど、あ、まさにこれだな、ってすごく感じたのが、「生きるを一緒に生きる」。
なんか私も本当に、彼女と一緒に彼女の生きるを一緒に生きたな、とすごく感じました。
深田/
ありがとうございます。「生きるを一緒に生きる」というのは本当にいい言葉ですね。
私も介助をつづけていますので、すごくよく分かるなと思って、共感いたしました。
はい、田丸さんいかがでしょうかね。
介助ということになるのですが、それに限らず、支える・支えられるといった。
田丸/
はい、そうですね。あの、そのやっぱり、今日ずっと話していて、皆さんも話題になっていると思うんですけど、わかるように伝えていくということがやっぱり大事だなというふうに、強く思います。
やっぱり、この業界にいたりとかすると、この業界にいると普通に伝わること。差別のこともそうだし、偏見のこともそうかもしれませんし、ちょっとしたことでもやっぱり、僕たちの中ではわりと伝わりやすいことっていうのは沢山あるんですけど、うーん、さっきの工藤さんの介助者の話、介助者というか時間の話とかも、僕たちはある程度聞いたことのある話の延長線上にあると思うんですよね。
だからなんかなるほどな、と思って、それでもひどいこと言われたなとは思うけれど、初めて、まったくまっさらで聞くわけではないと思うんですよね。
だけど、やっぱりほとんどの人は、それを聞いてびっくりする可能性はあると思うんですよね。だからそれも含めて、初めて僕たちの中では普通のこととかを、僕たちの中では通じる言葉とかを、どうやって外に知らせていくかってやっぱり大事で、そうじゃないと、分断を生んでしまったりとか、逆に、というか叩かれてしまったりとかいうことが増えていく気がするし、
本当の意味で僕たちの状況を理解してもらうには、やっぱりその、簡単な言葉というか、分かりやすく、相手に伝わるような伝え方をどういう風にしていくのかっていうところがすごく大事だな、という風に感じました。
深田/
はい、田丸さんありがとうございます。
介助に限らずですけど、やっぱりこの世界のことを本当にもっと、私自身ですけどね、伝えていかなきゃいけないなと思います。
本当に皆さんお話してくださったように、介助の世界に踏みこんだからこそ、みえてくることとかたくさんあって、介助の面白さとか、介助の豊かさとかですね、もっと伝えていけたらと私自身思っているんですけど、と同時に、皆さんを介助の世界に招待したいなというかね。介助の世界にどうぞやってきてくださいというふうに招待したいなと思っているんですが。
介助を始めて、やっぱり次の世界がみえてくることがあるんですけど、介助の世界に踏み込んだからこそ見えてきた世界というのを、工藤さん確かお話してくださっていたと思うんですけど。
次の一歩ですかね、その、介助の世界での次の…、あの、ポエムの…(笑)
工藤/
そうですね。これはあの、この間思い出をさかのぼっていたら、2018年の出来事だったんですけど。
あの、ある日私はえびちゃんと夜な夜な、えびちゃんの家でお話をしていて、私は「今悩んでいることがあるんです」っていうことを相談したんですね。
当時私はまだ、入浴は介助を使っていなくて、一人でお風呂に入っていたんですけど、
ただ、段々筋力が落ちてきて、ちょっと危なっかしい場面が増えてきて、介助を入れようかどうか悩んでいるんですっていうことを話したんですね。
ただ一つ大きな悩みとして、ちょっと私、毛深い、腕毛が濃くて、それが介助者に見られるのが嫌なんですっていう。その、初対面の介助者ももちろんいるので、初めて会ったばかりの人に、自分のその、からだ、無防備な状態を見られるのが、すごく嫌なんです。
でも一人でお風呂に入ったら、転んで起き上がれなくなるかもしれないし、どうしようか、っていうことを相談していて、私はなるべく障害を進行させないことを、こう、常日頃、気遣って生きてきたんですね。
そしたら、相談した時にえびちゃんから返ってきたことが、なんかすごいけらけら笑って、「もう、さっさと重度化しちゃいなよ~」と言われたんですね。
で、私それを言われて「え~!」となって。
深田/え~となりますね。
工藤/私はこれだけ重度化しないように気をつけているのに、さっさと重度化しなよってどういうことだ、と思って。
そしたら、えびちゃんはそんな、毛の一本二本見られたって、あのもう、それが生きていくことなんだって、たぶん言いたかったんだと思うんですけど。
さっさと重度化しろってそれしか言わなくて。その真意は聞けていないんですけど。たぶんそういうことなんじゃないかなと思って。
でも、あの、じゃあわかりました、私ちょっと頑張ってみますっていうのを決めて、ちょっとその前に、私ポエムを、いまの気持ちをポエムに書くので。
深田/ポエム。詩ですね。
工藤/そう、詩にしますので、もし私が入浴介助を、初めて乗り越えられた暁には、そのポエムをぜひみてくださいっていうような感じにして、その時の心情、あの『毛と私』っていう…
深田/毛と私。
工藤/タイトルでかいたんですよ。で、無事に、初めての入浴介助を達成できて、それをえびちゃんに送る前に、ちょっと宍戸監督に、一回添削してもらおうと思って、
深田/添削…(笑)
工藤/宍戸監督に送った履歴をこの間探したら、2018年だったんですね。
で、なぜかその後えびちゃんには送っていなくて(笑)
深田/お~??
工藤/えびちゃんはこの、『毛と私』をみていないんですけど、ただえびちゃんの「さっさと重度化しろ」っていう一言で、私は重度化するっていうことにすごくマイナスなイメージを持って、あの、なるべく障害者にならないようにって思っていたのが、その一言で、「重度化するって、そんなに悪いことじゃないのかも」って、えびちゃんがそんなに明るく言うならそうなのかなって思って、自分も吹っ切れたというか、重度化する自分っていうのを受け入れられたな、と思っていて。
そこは本当に、その一言がありがたかったな、と思っています。
深田/
はい。どうも、ありがとうございます。
一つめのパートでもね、自分が障害者であると自覚することから始めないといけないと言う風な言葉がありましたが、自分が障害者であることの誇りと言うか、障害者であることのプライドというか、そういうのを海老原さんは持っていたなと思いまして、それが工藤さんに伝わっていますね。(笑)
はい、素晴らしいと思いました。
はい、ありがとうございます。
では、最後にですね、特別編という形で、海老原さんの生き方の基本理念を示すような言葉をもう一度、高山さんに朗読していただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
(1:03:40)
高山/
私は「価値のある人間と価値のない人間」という区別や優劣、順位があるとは思いません。価値は、人が創り上げるもの、見出すものだと信じているのです。
あなたが縄文杉に大きなパワーを感じ、感動したとしても、それはあなたがそう感じただけで、縄文杉は何もしていない。それなのに、どうして目の前の重度障害者の尊厳に気づくことができないのか?いや、本当はできるはずだ。
重度障害者の“存在価値”ばかりが問われる昨今に海老原さんは、向き合う側の態度を問い直した。
深田/はい、ありがとうございます。
本当に、重く受け止めたい言葉だなと思います。
ではまもなく一時間になりますので、最後になりますけれども、今の海老原さんのことばですとか、今日の座談会のことを含めて、皆さんから一言ずついただきたいと思います。
ではこちら、田丸さんからお願いします。
田丸/
はい、ありがとうございました。今日は本当にありがとうございました。
改めて今日は、ほんとうに色々な海老原さんの残された言葉を聞いて、というかお聞きして、本当になんか、さっきの14歳の時に自立のことを書いているとかもすごいなと思いながら聞いていました。
価値は、人が決めてつくるものということも、本当にそうだなと思うので、
やっぱりその、いいとか悪いとか、生きる価値があるとかないというところではないところで、もっと根源的なところで、私たちは考えていかなければいけないし、そういうことを問いかけつづけなければいけないんだなっていう風に思いました。ありがとうございました。
深田/ありがとうございます。では工藤さん、いかがでしょうか?
工藤/
えっと私も、今日話しながら、えびちゃんとのエピソードを色々思い出して、あんな会話もしていたなとか、あんなことも言われたなとかって、いろいろ思っていました。
で、そうですね、やっぱりその、私も自分では重度化すること、悪いと思っていたけど、えびちゃんはそうは思っていないとか。
同じことでも、人によって感じ方が全く違うというところで、この人にとっては価値があると思っているものでも、違う人にとってみたらあまり価値がなかったり、でもそういうことを、人間の生きることに、それを当てはめちゃいけないなと思って、そのあえて答えを出さないという、考え続けるということもやっぱり大事なのかなという風に、今、話していて思いました。
本日はありがとうございました。
深田/
どうもありがとうございます。では小林さん、お願いしてもよろしいでしょうか。
小林/はい。
えっと、最後のその言葉や文章もそうですし、残してきた沢山の言葉もそうなんですけど、なんかこう、障害のある方限定ではなくて、介助者側・健常者側、あとはどういう仕事をしているかとか、どういう立場とか、そういうのに限らず、なんか自分ごととして、なんかイメージのわく言葉が多くて。
だからなんかすごく、色々な人にひびくのかな、と思いました。
なんか、私もその、なんか、ついつい、今日もだめだったとか、今日も子ども怒っちゃった、ダメなお母さんだとか、なんか、そういうことを思いがちなんですけど、なんか、最後の価値のある人間とか、そういう言葉に救われたり、あ、こんな私でもいいんだみたいな。私本当に話すのもすごく苦手なので(笑)、今日も参加させてもらって、ありがたいのと申し訳ないのとなんですけど。
でもなんか、本当に、そういう自分でもいいんだって感じさせてくれる言葉がすごく多いなって思いました。ありがとうございます。
深田/
ありがとうございます。
では最後に、今日朗読してくださいました、高山さんにも一言お言葉いただきたいと思います。
高山/
はい、まず、色んな思いがね、こう、こみあげてきて、皆さんもそうかなと思うんですけれども。
まず、第一は、「海老原さん、ありがとう」ってことを思いました。
海老原さんが生きてきてくださったことを、その、色々な話をしましたけれども、
じゃあ人生は長く生きたからえらいのか、そういうことじゃないよね、って海老原さんがおっしゃっていたんですけど、本当に、もっと生きてほしかったけれども、生きている間にこんなに沢山のものを私たちに下さった、ということに、本当に、改めて感謝しました。
すごく今日のこの空間は、とてもいい空間になっているっていうのも感じています。
これもやっぱり、海老原さんのことをみんなで語ると、すごく楽しかったり、なんかこう、胸にぐっときたり、そういうことになるんだなっていう風にも思いました。
本当に、今日は呼んでいただけてありがたかったです。
皆さんありがとうございました。
深田/
こちらこそありがとうございました。
それでは時間になりますので、ご視聴いただいた皆さん、今日はありがとうございました。
皆さんの現場、現場というか、暮らしの場面でもですね、海老原さんの言葉を、近くにいらっしゃる方に、伝えていただくなどしてですね、今日私たち本当に、海老原さんとの対話ができたなと思いますので、その対話の輪をですね、皆さんも広げていただけたら、とても幸いに存じます。
では朗読してくださった高山さん、どうもありがとうございました。
座談会の座談の皆さまもありがとうございました。
ではこれでお開きにしたいと思います。どうもありがとうございます。ありがとうございました。
宍戸/
はい、ありがとうございました。
それではここから、第2部 第一回助成事業報告会と題しまして、12団体の活動報告を、各団体約5分の動画でお送りいたします。
ここからは、録画上映となります。少し長い報告をしてくれた団体もありますので、全体としては75分あります。
皆さまからのご寄付を通して、こんな活動ができましたというご報告ですので、ぜひご覧ください。ではお願いします。
(動画終わり)